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2007年11月20日

教会建築の興味深い話

この事の背景には何があるんでしょうか。

マケドニア王朝の開祖バシレイオス1世はローマ帝国再生を唱え、ユスティニアヌスに倣って建築活動を積極的に行い、ハギア・ソフィア大聖堂をはじめとする荒廃した教会堂を修復し、新たに教会と宮殿の一角を建設した。総主教フォティオスのもと、帝国は栄光の再生を夢見たが、ユスティニアヌス帝の建設活動が主として巨大公共建築であったのに比べると、バシレイオス帝の建築活動ははるかに規模が小さく、私的建築活動と呼ぶべきものであった。宮廷の建築活動はすでにかなり縮小しており、その影響力も農業中心の地方域には波及せず、ビザンティン唯一の大都市であるコンスタンティノポリスに限定されたものであった。このような私的援助は宮廷に限らず貴族によって模倣され、ビザンティン建築はこの後、私的建築活動によって存続することになる。

カレンデルハネ・ジャーミイ(キリスト・アカタレプトス修道院?)976年から始まるバシレイオス2世の治世になると、国庫の収入は改善され、セルジューク朝侵入に至る1071年まで、ビザンティン建築は活動最盛期を迎えることになる。バシレイオス2世は厳格な軍人皇帝であったため、その偉業にも関わらず、彼の銘による建築は現在まで発見されていない。皮肉にも、中期ビザンティン建築の革新は、彼の後継者たちの散財によってもたらされた。11世紀は建築の革新期で、1028年のロマノス3世アルギュロスによるパナギア・ペリブレプトス修道院、1034年にミカエル4世によって建設されたアギイ・コスマス・ケ・ダミノス聖堂、コンスタンティノス9世モノマコスによるマンガナのハギオス・ゲオルギウス聖堂[20]などの大規模で壮麗な教会堂が建設された。これらはどれも現存していないが、下部構造からの推定ではアルメニアの影響が認められ、当時建設された教会建築に大きな影響を与えたと考えられる

引用『ウィキペディア(Wikipedia)
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